2004・秋
仕事場兼住居の予定地をユンボにて 整地しながら、設計の詳細を決めてゆく。 設計当初、2×4工法でのセルフビルドを予定していた。 この工法の利点である、素人でも施工可能な点が決め手になり 設計を進めていたのだが・・・住宅地より湿気の高い山での生活に耐え得る建物か?という疑問にぶつかり思案に暮れた。
ほぼ設計が仕上がっていただけに、ここに来ての工法変更は 勇気のいる決断ではあったが、大工の友人の進めもあり、 在来工法に思い切って切り替えた。 となれば設計そのものも白紙に戻ることを意味する。 妻と連日設計を組み立て、図面作成にいそしむ。
大工の友人にチェックしてもらいながら、ほぼ設計が固まる。 2004年が暮れようとしている。 ここからは地元にある建築資材全般を扱う、 株式会社 協力(きょうりき)さんの支援により設計詳細が滞り無く決まってゆく。 建築に必要な各図面が仕上がり、 各業者の選定に入る。
この頃、大工の友人U君が所属する工務店の仕事を 長期間休み、こちらの建築に当たってくれる段取りをとってくれる ことになる。 正直なところ、2×4工法から在来工法に変わったことで セルフビルドは難しくなり、どうしたものか思案しっぱなし状態。 そんな自分を見かねたU君が、泊り込みでの建築を申し出てくれたのだ。 僕や妻はおいおい、泣いた。
ところが彼も抱えている仕事があり、こちらの着工時期を 遅らせないと都合が合わない事になり、又一思案。 前述の協力の会長さんに相談した。 U君がこちらに来れるまでの間、棟上げまでをお願い出来る 大工さんは居られやしないかどうか? こんな無茶なお願いが通る筈無いと思いつつ こちらの胸の内を聞いてもらった。 さすがに困惑の表情をされていたが、当たれる所は当たってみます、 との返事を頂く。
数日後、そんな無茶なお願いを聞き入れて下さる大工さんが 居られた、と知らせてくださり その方と顔合わせの場をも設けてくださる。 その方は、共栄ハウジングの吉田さん。 直接会い、こちらの失礼を詫びつつ日程が決まる。
2005年冬、いよいよ基礎が始まった。

施工に当たったのは、 両親宅の建築時にもお世話になった、田辺工務店。 その丁寧な仕事振りに感心し、お願いした方達。 とても気の良い、腕の立つ職人さんたち。
こうして着工に漕ぎ着けたのだが まあ、本当に面倒見の良い方、懐の深い方ばかりに出会い、 運のよさだけで突き進む自分であった。
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