ものづくりでなくても、どんな仕事でも、「露呈」ということばをいいかえれば、「己である」といえる仕事をしたいとおもいます。みるひとがみれば人間がみえてくるって、すごい一閃だとおもいませんか? >造り手の人間が日常をどう過ごし、何を感じ考え、ものにどう向き合っているのか・・・ そのとうりだとおもいます。
どこかで読んだけれど、<ものをつくるひとが優れていれば優れているほど、高慢と劣等感の振幅がおおきい>とか。かっこつけてください。おちこんでください。
陶芸家というとある典型ってあるでしょう? おっちゃんがあなたのこと「にこにこ陶芸家」といっていました。 とても楽しみに見守っています。
【2006/10/09 18:15】
URL | ヤマンバ #- [ 編集]
う~ん、いろいろ考えるのはいいけど、作品づくりをしている最中にも考えるのはいかんぞ!
答えは単純明快だ。 「心」で造るんです。
心ってどういうふうに?なんて考えずに ただ、楽しんで土を操ればいいのだ。
そもそも、なぜ陶芸家の道に入ったの? 焼き物するのが大好きなんでしょ?
動機やキッカケなど、過去のことをいろいろ書き綴って見れば おのずと何かが見えてくるのではないだろうか?
技術なんぞは、勝手にあとからついてくるもの。 人間性なんぞは、歳をとればそれだけ勝手に経験がついて磨かれるもの。 じたばたしても、その時その時、今は今のレベルの作品しか出来ない。 ゆっくり土をこねくり回し、時々自然の四季を六感で感じる。
そういう風においらは思う。
ヤマンバ様 一閃・・・そう感じます。見透かされる、とも言えるのでしょうが自己にとって恥なる部分のカケラを見出されることが耐え難かった以前に比して、 今では醜い自分をも裡で認めていることがせめてもの成長といえるかも知れません。 ありがたいお言葉、ほんと勇気を頂いております、ヤマンバさまにはいつもいつも。 どうもありがとうごじゃります。 顔で笑って、心でも笑う!顔で泣いて心でも泣く。己に素直になりたい。
【2006/10/09 21:52】
URL | 山坊主 #- [ 編集]
たきちゃんさま 確立していますね、何事も。 心が揺れ動く中でじたばたする自分が面白かったり、情けなかったり、浮いたり沈んだり・・・ それが僕であり、また作品である。 こうなりたいという理想は僕にもあります。 それに向かってゆく気持ちを強く持つ。だからこそ一連のくだらなく、情けない赤裸々な己を晒すことをしている、といえます。 自己の足跡を文にして残す。 公開しているものにこーいった事を記すことで あることを複雑にしたりしますけど、こうして 人の意見が聞けるのは貴重。 たきちゃんの言われることは、はっきり言って自分が足を踏み入れたい場所です。 僕の理想は複雑さを通り過ごした単純さ! それを自分の裡に確立したい。 コメントが噛み合ってないかも・・・ごめんっす!
【2006/10/09 22:24】
URL | 山坊主 #- [ 編集]
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