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六地蔵山坊主

Author:六地蔵山坊主
 お蔭様で第4回の窯焚き、窯出しを無事済ませることができました。
遅々とした動きですが、確実にに前進している・・・そんな実感がじわじわ湧き上がっている昨今です。
春の窯に向け再始動します。



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まる

       まるまる


 真ん丸って魅力を感じません。
が、まぁるいものには興味が湧きます。まぁるい形に魅力を感じる
というより、まぁるい形を形成するまぁるい線が好きです。

 それとも、いびつ極まりない自分の人間性が真ん丸に嫉妬している、のかもしれませんが・・・
<真ん丸に魅力を感じない>その心理を追求してゆけば、真ん丸の形状を造れない自分が用意した逃げ場に行き当たること必死!です。
そう、出来ることなら真ん丸を目指したいのですが・・・

 そう簡単にはいきませんねぇ。
だからなんとなくの、まぁるい線や形が好きだと思い込もうとしているのかも知れません。

DSC03729.jpg


  


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       =(イコール)


 頭で思い描く線を立体で再現できるか?
難しい問題です。
10個造って1個思い描いていたモノができる、では到底納得など
出来るはずありません。
この2ヶ月間は鈍り切った勘と感覚を呼び起こす為のモノ造り、と銘打って、粘土に触れてきました。

 やきもの屋として生きてゆこうってのに、かれこれ4年以上粘土に触っていなかったのですから・・・
やきものの、いろはさへおぼつかない状態で
菊練り、手捻り(紐造り)、型モノ、轆轤モノと段階を踏み直してきました。
うわっ!やっぱり全然ダメだ・・・
おっ!出来るじゃん!!
弟子の頃の感覚が残っていたり、跡形もなく消え去っていたり。
その度に気分は乱高下の繰り返しでした。

 以前持ち得ていたいろいろな感覚が数日前蘇ってきたような感触を
覚えました。気のせいではないことを祈るばかり・・・
近々砕き終えた粘土が勢ぞろいしそうですし、そうなれば後は
どしどし作品を造ってゆく段です。

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 数多く同一のモノを挽ける自信もついた!かな?


DSC03713.jpg

 出したい線も出せ始めた!かな?





短所

       三足高杯

 「さんそくたかつき」と読みます。
3本足での立姿が好きで以前からよく造っていました。

DSC03680.jpg 

 これらの形状から想起するもの・・・
王様のコップ、高床式住居、バナナやオクラ・・・各々繋がりがないものの、自分の裡ではどれもが形状のイメージに納まります。
はい!幼稚です、僕は。

 用途は人それぞれでしょうが、燭台としてみてはどうかな、と個人的に
思っています。ロウソクの炎のゆらめきを生活に取り入れたい、
という願望から発した提案です。
和蝋燭の美しい姿を引き立たせるためには器の形状に
再考の余地ありまくり!ですが、これをきっかけにして形状進化を遂げたてゆきたいと感じています。
それと・・・地震には滅法弱いですねぇ。
震度4で、グラッ!コテン!パリン!でしょう・・・。




・・・・・・・

                静穏


 なんてことない、一日。
仕事場を訪れる人はなく、どこかへ行くこともない。
受動、能動いずれでもない、宙に浮いているような感じ。

 すきな音楽の流れる仕事場で試作をことこと造る時間。
いい感じ。
長い間、漠然と・・・けれど強い想いで思い描いていた空間と時間を手に入れた喜びがどこからか湧いてくる。

DSC03674.jpg



 こんな日の締めくくりに相応しい、山に静かな雨が降っている。





ひと皮

       削ぐ

 作品を形造った後、数日置いてから仕上げ工程に移る話は
昨日触れましたが、モノによってはもう1工程手間を掛けます。

 モノ全体をヘラで薄く削いでゆくのです。
材木の表面をかんなでシュッ!と仕上げるように、粘土をひと皮剥いてあげます。
そうすることによって粘土が一味違う表情を見せてくれるのが
気に入っています。

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 手間はその分増えますが、ついつい夢中になってしまうところを
みると、剥く作業自体が好きみたいです。


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 続 長柄シーワールド。
崖っぷちから海に飛び込もうか、やめとこか・・・・・


 




主観的

               感じ方


 ロクロで水挽き成形した後、数日を置いて仕上げに取り掛かります。
タップリ水気を含んだ木綿豆腐の様な触感だったものが
時間を経るにつれ、徐々にこうや豆腐の様な締まった状態になってきます。仕上げを施すのにもってこい!のタイミングを逃すと
自分の持つ作品イメージとは異なるモノが出来てしまいます。
ですから、そのタイミングを見計ることも工程の中の大切な1要素です。

DSC03647.jpg

 仕上げを施す頃の粘土の色、触感はとても魅力的です、自分にとって。
人肌鈍色とでも言うのでしょうか。
照りが無く、しっとり柔らかな、潤い豊かで手に吸い付く・・・
そんな艶っぽい形容で表したくなる様な悩ましさを
粘土という素材は備え持っているような気がします。

 




井戸端会議

       夕刻前


 人口密度の低い我が家周辺。
誰かさんの家の前で、夕飯支度の前の井戸端会議なーんて光景は
ここの立地では求められぬ事です。
じゃあ、代わりにっ!って訳ではないのでしょうが
どこからか、凄い数の鳥がいつの間にか集まり、ピーチクパーチクやってくれています。
世間話?鳥の噂?とにかくすんごい勢いでまくし立てています。
皆聞く耳持たず、一方的にしゃべりまくっているようにしか見えません。

DSC03626.jpg


 何羽か飛び立てば一拍置いて皆が飛び立ち、均等な隙間を空けて皆同じ方向へ飛びます。
赤信号皆で渡れば恐くない!みたいな集団意識が働くのかどうか定かではないけれど、規律正しすぎるのはなんか異様に感じます。
何羽かあまのじゃくな奴がいてもいいと思うのだけど・・・
あ!いたいた皆と逆に飛んでいるのが、んー!まるで自分を見ているよーな気がする・・・
皆が皆っていうのも異様だけど、一羽だけ、ってのもまた異様に映るものだなぁ・・・
鳥の振り見て我が振り直す!!気を付けよう。


DSC03638.jpg


 おっ、ここでもやっています、井戸端を。
なになに?ナニを話しているのでしょうか。
会話に興味はありますが、所詮、机上の空論に過ぎません。
・・・・・ほっときましょう。


DSC03644.jpg

 今夏、鼻面をマムシに噛まれたお間抜けな愛犬ロク。
そーいえばロク、おまえさんもよく一人井戸端をやっているねぇ。
昼、晩、夜更け、夜明けと・・・もうちょっと時間を考えてやって欲しいもんだよ、まったく。




結露

       単と複


 1階仕事場、2階が住居の我が家。
建築コストを抑えるために仕事場のガラス窓は単層サッシを用いました。
住居の窓は風呂場を除いて、背伸びをして複層サッシにしてみました。
入居した去年の今頃も同じことを感じていたのですが、今年も又・・・
単か複かでこれ程までに違いが出るものなのか?

 外気温と室内温の差が大きく開き始めるこの季節。
今日は雨降り、しかも寒いとなると、待っていましたとばかりに仕事場の窓にはビッチリ全面結露、結露、結露。結露の大合唱です。
調湿作用の性能を期待して壁は漆喰、床は三和土の土間、
天井や腰壁には木材、と天然材を多用してはみたものの・・・
思惑通りにはいかないものです。
 一方、2階住居は結露の、け、の字ほども現れていません。
ガラスが1枚か2枚かでこんな大きな差が出てしまうのであれば
もうチョイ背伸びして、仕事場にも複層サッシを用いればよかった!
そう感じます。

 更に1階と2階の室温。
夜の11時時点で、1階摂氏19℃。2階22℃。
3℃違うことにも、単か複かが当然起因していることでしょう。
いつの日か仕事場にも複層サッシを入れ直すことを夢見て・・・・・

 
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 三足高杯と茶碗。
幸い、とめどなく流れ出る結露の雫を溜めておく器には事欠きません。
よかった!・・・やきもの屋で。(うそこけっ!)

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 おー!おまえさんも、たくさんの雫があったほーがええよなぁ。
よちよち。 
          長柄シーワールド。
 


 






触発

       知覚過敏


 言語に表すでもなく、具体化して形にするでもなく・・・
普段は気に留めるほどではない事柄が、脳のどこかに
たくさんしまわれているように感じます。

 身の周りで起きるナニかがきっかけになり、自己の五感が窓口となって脳のどこかに寝ていたナニかがナニかと繋がり、ぼろっ!
と口や手から表現される、そんなことが時折起こります。
自分が思うに、日常起こる現象と脳のどこかの引き出しを繋ぐ線が
活発に働く人ほどモノ造りに向いているのでしょう。
誤解を恐れず言うのなら、ひらかれた五感でナニを捉え、脳からなにを手繰り寄せられるのか!それがモノ造りの醍醐味だと、そう感じます。

 随分えらそーな能書をぶってしまいました。
でも将来の自分の為に勇気を出して記しておきます。

 そう感じるからこそ起こりうる、葛藤葛藤葛藤。
ナニかが繋がり、手繰り寄せたものがなんてことなかった時の落胆。
また、立体表現を完結できぬ腕の未熟さを嘆く。
そんなのばかりです。
気分屋な自分ですから変わり身がはやい!
 これ、救い、です。

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お手本

         各種


 ほんのお湿り程度でしたが、山に久しぶりの雨が降りました。

 少し前から気になっていた、薪の山のキノコあれこれを見に行きましょう。積まれた薪にクヌギが多いこともあり天然の数種の菌が各々、
堂々たる姿を現しています。

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 濡れるのが嫌なんでしょうか?
自分が傘の役目を果たせるってのに。

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 これがほんとのあいあいがさ。


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 軒先に佇む・・・


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 キノコ3兄弟。


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 家族を肩に乗せがんばる!父ちゃん。
お、おもてぇ~。


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 微妙な分布。


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 はっ!とさせられる美しき造形。


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 寄せる波の様な。


 モノ造りの手本になりそうなモノが
この山のそこいらじゅうに散りばめられています。

 

 なのに・・・
こんなものばかり・・・・・ぼくって奴は。

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だれ?


          あんた!



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  ぼく?ぼくはぐり坊。
今日はぼくの住んでる山を一緒に見て歩こう。


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 これはミミズ坊だよ。
 
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 これはへび坊。
おとなしいから、大丈夫だよ。


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 樹坊とへび坊は何となく挨拶をするんだよ。

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 ん?


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 うわっ!なんだこれ?


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 じ~~~~っ。


                                 おしまい

 



 皆さん心配いりません。
僕はいたって元気です。
・・・・・・・・・壊れたわけでもありませんから。




たった!?

       粘土ビル


 仕事場の一画を粘土室にしています。
ついこの間まで、要るのか要らないのか分からない様なものばかり
が所狭しと場所を占領していましたが、ようやく本来の役目を果たす
に至りました。

 乾燥を済ませた粘土を土練機(粘土を均一に混ぜ合わせる機械)にかけ、ビニールへ入れてゆきます。

DSC03534.jpg


 粘土の種類毎に積み上げます。
ようやく全体の半分が終了しました。1本8kg。ここまで250本。
しめて2tの粘土が出来たことになります。
もう半分を足して約4t弱の総重量になりそうです。家が傾かないかちょっと心配!
 1回の窯焚きで焼ける点数は大小合わせおおよそ2000点。
3t弱の粘土は使うでしょうか。残りは次回の分、貯金です。

DSC03538.jpg


 徳利、ぐいのみ合わせて500g。
と、いうことは3000分の0.5。




意味不明

       連れ合い


 植物、動物問わず群れを成して生きるモノが多いように思います。
どうして群生するのかは、それぞれの事情があるのでしょうが・・・

DSC03468.jpg       


 砕石を下地にして群れるキノコ一家。
少し先にいけば生えるのに相応しい、フカフカの土の床があるのに。

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 腐葉土に腰を落ち着かせた、ごま塩ホワイトマッシュルーム?一族。
広い場所でそんなに密着しなくても・・・


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 陽の光を吸い寄せて生きる西洋アサガオふたり。
少し貧血気味?


DSC03503.jpg 


 こちらは日焼けを避ける西洋アサガオふたり。
美白が命。


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 縁側で日向ぼっこするご夫婦に送る、一服セット。

 何を言いたかったんだっけ?




山丼


       食べ頃


 昼前に作品のモチーフとなりそうなモノを探しに
山をぶーらぶらしました。落ち葉の絨毯を踏み踏みしながら・・・
視線はついつい足元へ向かいます。
落ち葉それぞれがサイケな色調で目を惹くからです。
 
 これだけ多くの落ち葉が足元にあるということは・・・
樹冠を見上げると

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 つい、この間まで生命力溢れる木々の葉が視界を遮って空を狭く見せていたのに、葉が地に落ちた分だけ空の面積が広くなっています。
年々、額の面積が拡がって行く自身の切なさ同様、広く高い空は感傷的な気分にさせられますなぁ、は~っ!


 さあ、気を取り直して!!
足元に広がる落ち葉を手に取り眺めてみると、実にたくさんの色彩が
一葉に散りばめられていることか。
この姿、色を見逃さないでよかった。

DSC03471.jpg


 あまりに鮮烈、艶があるので器に盛って目にごちそうを与えてやることにしました。
名づけて 「山丼」(お米がないけどね!)。

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 あまりにセンスな~し!




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 楓の葉をデフォルメして銘々皿を2葉。



因果

               めぐり


 樹の命は続けども
命綱を断った葉は地に落ち、土へ還る。

 たくさんの葉の命を飲み込んだ土で
もいちど葉をかたち造ろう。


 


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はは~

         ちこう寄れ

 珍しく風呂掃除なんぞをしていたら・・・
鮮やかな緑が目の前を横切った。

パタパタパタ!ブシッ!コトン!
飛び、壁に阻まれ、床に落ちた。
落ちたところで確認すると


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 殿様バッタでした。
どこから入ってきたのでしょう?
窓は閉まっているのに。

 まあまあ、どっかから入ったにせよお殿様であられればお喜び致すほかあるまいな。

 早速ではごじゃりますが、拙者が御身体をお洗いいたしやしょう。
ん、苦しゅうない!
 で、どこぞおかゆいところはございませんか?
ん、羽の裏をよく洗え!苦しゅうない、もっとちこう寄れ!
 はっ、有難き幸せ・・・

DSC03457.jpg 

 てな具合で我が家の風呂でひと時を過ごしてから山に帰って行きました、とさ。
ところで殿様と呼ばれる所以は、なんでしょう。
まず1つにその堂々たる容姿が挙げられるでしょう。もう1つは他のバッタより群を抜いて飛行距離が長い、という事。
追いかけても追いつかぬ程早く長く飛びます。
幼少の頃、草むらで運良く殿様バッタを見つけても掴み取るのは容易ではありませんでした。
 久しぶりにまじまじと観察しましたが、子供の頃の印象そのまま
かっこえぇ~、あんたはほんと殿様だわ。


 



ここらへんで

       いっとくかー


 昨日の夕方を境に空気が冷え込んできました。
今日の日中も時折吹く風がめっきり秋のものでしたから、
気分的に揺らめく炎を求めてしまいました。
 そう、薪ストーブを焚いちゃおーかな!気分になったというわけです。
夕方の時点では、強い夜の冷え込みを想像出来る風の冷たさだったのでいそいそと薪の準備を整え、着火材の細い枝を揃えよしこい!
と構えていたのですが・・・

 外気温15度室温23度。
冷静に考えてみると、とてもとてもストーブを焚くほどの気温ではありません。何だか窓の外の寒々しい景色に騙され、気分だけが先走りしていたようです。
窓辺のカーテンもまだ夏仕様のものですし・・・

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 とはいえ、抜いた刀の納め所が定まらないので、秋の夜長を埋めるためにも少し、炎の話でもしましょうか。

 揺らめく炎を見て落ち着きを感じる人、逆に興奮を覚える人。
薪で窯を焚く経験上、いろいろな人の反応を観察していると2つに分かれるようです。
普段無口で取りつくしまのない人が
窯焚きの時には豹変し、一転この上なく饒舌になる。
また、日常軽薄に感じていた人が悩める哲学者のように重く沈んで見えたり・・・あぁこの人の本性はこっちなんだろうな!なんて、分かったようなことをぬかしている自分も又、相手に観察されていた!ってことがあったりしました。
 人の本性見抜いたっ!という程ではないにしても、炎の前には自己を晒す人が多いのではないかと感じたものでした。
日常でナマの炎を目にする機会が減っているのは確かでしょう。
焚き火でさえしにくい現代住宅事情です。オール電化導入で青白い炎も減ってきていますし。
 
 火の文化、炎の情緒、ひとのありよう・・・
自分なりに守ってゆきたいもののひとつです。


 DSC03448.jpg


 






いないなぁ・・・

       秋の羽


 この季節、山に吹き込む風に乗りどこからともなく集まり
どこかへ散ってゆく彼ら。
今年はあかとんぼを目にしません。
少し前から姿を現さないのが気になっていました。

 山ではないどこかでは例年通り飛んでいるのでしょうか。
あの濃い朱色の体を見れない寂しさからか、
昨日あかとんぼを買ってきてしまいました。


DSC03453.jpg

 あかとんぼ、売っているの?
そう、売っていたんです。


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 竹で作られたとんぼですが・・・
体を朱にしたかったのに間違えて羽根を塗ってしまいました。
そんでもあかとんぼが山に来てくれた気分を、味わえている
安っぽい自分です。




明暗

       あっちとこっちは繋がっている


 うなぎの寝床。
僕の仕事場の平面形状はまさにそんな感じです。
山の平坦地造成に制限があったため、建物を細長くして面積を稼ぐ必要があったのが幸いしてかえって自分好みの形状に納まった・・・そんな経緯があります。
しかも・・・細長い形状を更に細く仕切りました。
これではうなぎ、ではなくミミズの寝床といった方がしっくり当てはまります。何故にそうしたのか?

 窮屈と思えるほどの空間に心地よさを感じ取ってしまうからです。
その感覚の原体験は小学生の低学年頃まで遡ります。

 近くの空地にコンクリート製の下水管がうず高く積まれていた。
その中に基地を作り、他小学校の生徒との縄張り競争の拠点にして
あれやこれやで争っていたのだった。
攻撃目標にされる基地の中だから、いつ敵が攻めてくるか分からないドキドキ感がある一方硬く冷たいコンクリートの質感、そして壁が両肩に迫る余分のない空間に何ともいえない心地よさも感じていた。
立っては歩けない直径60cmのその空間をえらく気に入っていたのだ。

 下水管の両出入り口は覗き穴の開いたダンボールで蓋をして、教室からかっぱらったチョークで各計器を書き、拾った座布団を操縦席に敷き
この世の大事なもの全てがその中に詰まっていた。
あ~!止まんない・・・
仲間は3人。争い相手は時に大人数で攻め込んで来た。
一旦奪われた基地を取り戻すために奇襲をかけたり、仲間をかき集めて
逆襲したり・・・そんなことの繰り返し。
嗚呼、懐かしいよぅ。
セピアな気分はここらでやめておきましょう。

 そんな原体験があって、35歳の大人になってもその心地よさを
どこかで求めている事がおかしくも哀しい感じではありますが
志向を追及したらこんな仕事場になっちゃった!というわけです。
 出入り口付近は多少明るくて、真ん中は薄暗い。
ピキーンとした緊張感とまったりした空気。
記憶の中の描写、の中で仕事をしている現在の自分。

 三つ子改め、
        六つ子の魂 百まで。



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即効

       側溝

 大雨に見舞われる度に、足元の砕石が雨水で流されます。
排水の為の水勾配が巧く取れていない事で、流れ込んで欲しくない場所に土砂混じりの雨水がどっと!押し寄せます。
前回の大雨の時に水道(みずみち)がどのように走っているのかを
観察していたので、大体の水の流れ、そして勾配を修正せねばならぬ問題箇所を摑みました。
 普通、山の治水にはコンクリート製の側溝を多用するものです。
が、施工を自分でやるにしてもそれを必要分買うとなればべらぼーに高いのです。
まして土木会社に工事を依頼、となれば目玉が飛び出る程の金額になってしまいます。もちろん、安定した性能を発揮するので長い目でみればコンクリ側溝を埋設することが一番経済的なのかも知れませんが・・・。

 用意出来るまとまったお金がどこをつついても出てこない以上
急場しのぎの策を講じるしかありません。というわけで
敷き詰めた砕石をめくり、地盤の粘土層の勾配を整え直す方法を取りました。幸い粘土層はカチコチに固くよほどの急流にならなければ
水で削り取られる心配はないので、砕石と粘土層で簡易側溝にしてみました。

DSC03436.jpg
 
 ささやかなる試験と称して、水の流れを作ってみました。
実際の大雨となれば、勢いも破壊力も凄まじいことがわかっているので
ほんの気休め程度のものなんですが・・・

DSC03439.jpg


 一応予測通りの勾配が出ました。
この方法で住居周りはひとまず終了。
次は窯場周りと広い斜面の水路作り。その次が前々回の大雨で地すべりを起こした法面の改修とまだまだやること盛りだくさんです。
この好天を無駄に過ごしてはならんのであります。


 






一ヶ月分

       ようやく


 薪ストーブ用の薪をストック場から引き摺り出しました。
夏の初めにはやらなくちゃな!なんて独り言を呟いていたのに・・・
実行力不足!反省もんです。
山肌にうず高く積んだ広葉樹の薪置き場は3箇所。
うち1箇所の薪はほぼ全体に腐りが来ています。腐朽菌の逞しさが予想以上でした。
実は横着してその箇所だけ地面からかさ上げせずに、薪を積んでいたのでこの様な結果になりました。薪管理人失格ですな。
 残念ながらもう手遅れ状態で、このままカブト虫の幼虫飼育場と化してしまいそうです。山から切り出し、有効利用するべく溜めていた
薪だったのでほんとごめんなさい!と樹に謝りました。


DSC03429.jpg 

 ベランダ下に積んだ薪は、この量で約1か月分。
腐りの及んでいる薪も入っているので火持ちが期待出来ませんが
少量ながら熱を発する燃料です、大切に使いましょう。
11月初旬から焚き始め、4月初旬まで活躍するストーブ。
と、言う事はこの量を後5回分積んでは使い、積んでは使うわけです。
すんごい量だと思われるでしょうが、焚き始めると瞬く間に、ものの見事にあっけらかんと、すっからかんになってしまいます。
 が、薪を運び、割り、焚く行程の中で3度汗をかける薪ストーブ生活は
理にかなった優れた知恵の結晶だと思わずにはいられません。

 積み上げてみると早く焚きたくなるのは人の性、でしょうか。
早くコイ来いちょっと冷える夜。


 






ほう!

       やるの~!トーキョー


 帰省していた妻と子を東京駅まで迎えに行きました。
どう見ても迷路みたいな構内をグルグルさまよい
おち合う場所にたどり着いて、ヤレヤレ。
と、束の間、催したのでまたグルグル目的場所を探し歩きました。
表示を見つけ誘導されて、着いたそこには・・・見慣れた表示の脇に
ゆ・う・りょ・う?の文字が、違和感ありありで表記されています。

DSC03425.jpg
 
 はじめて見たなぁ。
トーキョーってとこは用を足すにも銭勘定がついて廻るのかい?
ご丁寧に受付令嬢までご用意されてら。全く驚くやら感心するやら。
アホ面さげてここまで来たからには、トーキョー土産にもなるってこともあるしセレブ気分に浸って用足ししていくか~ってなわけで
コインを購入。単に100円払って入れるんじゃなく、意味があるのかないのか自動変換機に100円入れて、100円玉大のコインがころり。
100円玉と何の変わりもないじゃねえか!
 背後から受付嬢の説明の声が・・・
こんなところに似つかわしい、鶯嬢のよーな美しい声で。
出入り口横にそのコインを入れて下さいませ♪
はい。入れたらカシャッと扉が開いた。
オートロックかよ!ますますトーキョーすげーとこ。
写真を撮ろうとしたら、背後から、撮影はご遠慮願っております♪
はい。
 ここまで厳重?なる検問を受けないと入れない雪隠たぁ、どんなすんごい場所なんだ、金箔の床か?はたまた24金の便器か?
・・・あら、床はふつーのタイル、便器もトートー。
なんてーこたぁねーじゃんか!最後の手洗い場もふつーだ。
シャンパンが蛇口から出てくるわけでもねぇ。
期待を裏切られっぱなしでオートロック扉を押し出ると・・・
お嬢さんが微笑をたたえ、お辞儀をしなさる。
 納得した。このスマイルが100円なわけだ。用をたして笑顔で出迎えられたのは初めてだぁ。

 うれしハズカシ有料便所。




縮図

       飽食


 先日、定期的に通っている近くのコイン精米所へ行きました。
玄米10kgを100円で精米する機械が据えられた小屋。
どこにでもあると思っていたこの小屋でしたがそうではないことを最近知りました。お米を作る地域にしか無い物なのかも知れません。

 さて、小屋に入り100円玉をチャリン!
カシャ、カシャ。玄米が機械に飲み込まれてゆきます。
いつものことながら、玄米のあの薄い殻をどうやって剥ぎ取っているんだろ?なんてことを思いながら目線は床へ・・・。
哀しいことにいつ来ても玄米、白米の粒が多数床に散乱しています。
何故でしょう。
 誤ってこぼしてしまうことは誰にでも起こり得ます。
精米を終えたお米が集まる受け口からの取り出し方が分からず
撒き散らしてしまう事もあるでしょう。
それらは仕方ないにしても・・・
せめて、撒き散らしたお米を小屋に備えた箒とちり取りで掬ってあげようよ!と感じます。
大袈裟ではなく、かき集めれば子供の茶碗一膳分程になりそうな量が
置き去りにされている事があります。お米党の一員なる自分にとっては
信じ難い暴挙です、これは。

 大きい声ではいえないけれど、その討ち捨てられたお米は出来る限り
掬い取って消費するようにしています。どーせお米は磨ぐし熱を与えるのだから、決してバッチイものではないはず。
まあ、それはどーでもよいけれど・・・
以前はお米を粗末に扱うと、大いにしかられたものです。
目がつぶれるよっ!と言われたものでした。そーなった人は身近なところには居ないけれど、子供心には充分なる戒めにはなっていたと感じます。
 自分の目の届く範囲でその戒めを引き継いでゆきたいと思う今日この頃。



思い知ったか!

       身の丈


 かっこつけてよい事いってみても
造ったものがおまえの全てを露呈するものだよ。

 やきものの弟子の頃、親身に指導してくれたある先輩陶工に言われた言葉。
その言葉の表面的な意味合いは理解出来たものの、心のどこかで
そうとばかりはいえねーだろー!という声がしたのを覚えています。
今は何もかも下手なことは認めるにしても、
練習を重ねればそこそこよいものを造れるはずだ!という
根拠はないけれど、何か変な自信が体のどこかに存在していました。

 今にして想えば、その言葉の表面的な意味合いすら間違った
理解の仕方をしていたんだと感じます。
継続してゆければ、技術が高くなっていくことは確かでしょう。
けれど、肝心なのは技術云々ではないのでは?
もちろん技術も大切でしょうし、精神性をも求めたりしますが
先輩陶工が伝えたかった事とは、造り手の人間が日常をどう過ごし、何を感じ考え、ものにどう向き合っているのかが如実に作品へ顕れるのだからお前の場合、やきもの技術よりも先にやるべきものは人間性を磨くことじゃあないのかい!という事だったのではないのかなぁ、
なんて想うのです、今頃になって。

 今も当時と変わらず、いいかっこしいを続けている自分に嫌気を
覚えますがまだまだ自己成長の過渡期なんだ、と都合のよい
解釈をしている次第です。
自分の作品を造っている今、手先は土に触れ、頭は自分の過去現在未来のなんやかんやがグルグル巡っている感じがします。
自分賛歌を高らかに謳い上げていると思えば、
えっ!あの一言はそーいう意味だったの?と気付いた瞬間自己嫌悪に
陥ったり・・・
 まあ何ともせわしく右往左往している頭の中です。
こんな事をつらつら想い返しながらモノ造りをしている人って
僕だけなのかなぁ。

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息抜き

       これが?


 序じょに一日の有効利用時間が短くなっているような感じを受けます。
陽があっさり暮れてしまうのもそう感じる一つの理由でしょうが、
それだけだじゃないです。
やれる事は限られているのに、欲張ってあれやこれやに手を出すことが時間を足りなくする一番大きな理由なのでしょう。
元々2つの作業を同時進行させることが不得手なのに・・・
やり様を変えなくちゃ、どんどん焦りに変わって行きそうです。

 そこで、焦りを和らげるためにも・・・、なんて理由をくっつけて
孤独な遊びをしてしまいました。 
はい!

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 長州 小力!


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 自画像。



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 大橋 巨泉

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  漫画家 蛭子さん


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 アルカイダな人

 くだらない、くらい、くどい。
                   3Kです。
 
            




あいつが・・・

       呼んでいる


 先日紹介した、どんどんの「魅惑の豚ピリ」に対して
837通もの反響のお便りを頂き、友人一同の協力のもと
今一度「魅惑の豚ピリ」について検証してみたいと思います。

 天の思し召しか、あの数日後再びどんどんの近所へ
友人のお供でついて行く用事が出来ました。
やはり、僕と魅惑の豚ピリは赤いロープで繋がっているようです。太っ!
用事を済ませ少し早い昼飯を食べにどんどんに向かいました。
僕はカメラを忘れましたが、友人はしっかりカメラを携え店内へ。
ジャ~ン!これこそが837通の大反響を呼んだ
本家「魅惑の豚ピリ」の全貌です。

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 友人が写真を撮ってくれている、その瞬間には既に僕は
プルルッ!と震える脂身タップリの豚ちゃんを口に運んでいました。
行儀の悪い野郎です。いやしい奴です。
でも、仕方ないんです。目の前にはあの「魅惑の豚ピリ」が
食べて欲しいような眼差しで僕を見つめるものですから・・・

 さて、肝心のお味は。膨れて破裂寸前の期待を持って挑んだ割りに、
あれっ、うそっ!おかしい。いつものように舌が喜びで震えない!!
しばらくしてその原因が判明しました。
厨房に目を向けるといつも鍋を振るう人ではないのです。
とすれば火の当て方、あんかけのとろみ具合の加減が違うはずです。
勇んで友人を連れてきた手前、旨さに唸ってもらいたかったのですが、
どうもタイミングが悪かったようです。そこで、厨房の不手際を
どんどん代理人(?)の僕が謝りたくなっちゃいました。
完璧なる「魅惑の豚ピリ」を食させることが出来ず申し訳ないです。

 それでも心根やさしい友人たちはおいしかったよ!
と言ってくれたのであった。
肩を落として家路に着いたその晩、
「魅惑の豚ピリ」に魅せられたもう一人の友人が
自己流豚ピリに挑戦し、彼女のブログにアップしてくれたのです。
http://fuupain.blog54.fc2.com/blog-entry-173.html#more

 まだ実際に食べさせて頂いてはいないのですが
食の達人である彼女のことです。
本家「魅惑の豚ピリ」を超える逸品に仕上がったのではないかと
期待満々の長柄友人一同であります。
 あまりプレッシャーを与えてはいけませんね。
でも、好奇心と探求心豊かな友人達に恵まれ、ほんと感謝!です。
どうもありがとう。




待て!

       待ってくれ~


 こんなにしょっちゅう降りましたかね、雨って。
なんだかやけに雨の日、それに雨量が多い気がして・・・
以前は今程雨を意識した事がないから印象に残っていないだけなのでしょうか。少し砂漠地帯に雨を分けてあげたい!
 一雨毎に秋へ突き進んでゆく速度が増してしまいそうで、
何かもったいないような気がしてしまいます。
そう急がずにゆっくり行きましょうや季節さん。

 自動販売機で缶コーヒーのホットを探してしまう。
パンツ一丁からユニクロのズボンに変わった寝る姿。
薪ストーブで焚く薪の準備が追いつかず、焦っている。
いずれも秋症候群の症状です。

 それでもこの季節は体がよく動きます。
集中力も増します。
したがって屋内仕事が捗ります。
だからなおさら季節さん、雨を減らして今の気温帯を少しでも長い
期間保ってみてはくれませんか?


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そろそろ

       あれだなぁ


 落葉樹の葉が色づく前に家や窯の屋根にハラハラと
舞い落ちてきます。紅葉とまではとてもいえないかも知れませんが
ナラの葉がうっすら色づいてきた様に感じます。
雑草の勢いが衰え、芝の生育も減速したようです。
日々僅かながらも季節が進み行く様を感じ取って行きたいものです。

 山の廻り(めぐり)の中に身を置き始めてから間もなく1年が経ちます。
暦の上では12月にその年の年度が終わります。
が、自分にとっては昨年山に移り住んだ、この10月こそ一つの
区切りだと感じているようです。
なになに記念日!ってのは嫌いですが山に暮らし始めた10月というのは
心の中で記念碑的な意味合いを持つ月になりそうです。
 多くの生命がザワザワと隆起し、山が最高潮に活気付く春、そして夏。
隆起し尽した生命が土へと還ってゆき、来る活躍の場へ躍り出るための準備を整える期間である秋、そして冬。

 多くの生命が土に還ってゆく頃この山に、大きな足音を響かせやってきた僕らが1年を経て山の廻りに同化しつつあるような・・・
そんな些細なことが嬉しく想えます。
山の懐に潜り込み、安心して暮らすための整備はまだまだ整ってはいないものの、少しずつ少しずつ歩を進めていることは確かです。
これからも手は掛かるが山に向き合い、
生活を営んでゆきたいです。




独楽(こま)

       目がまわる~


 料理を盛り付ける見込み(底)の周りをグルリと立ち上げのある
器を鉢と呼んでいますが、その立ち上がりの高低で印象ががらりと変わります。当然使い勝手も変わってくることでしょう。

 器と人の位置関係は、目線を斜め下に下ろせば料理を盛った器が
見えるわけですから立ち上がりの高低によって料理の見え方が
違ってくるわけです。浅すぎず、深すぎず人と料理と器が織りなす
関係を想像しながら造ってゆきます。
とはいえ、万人に受け入れられる人が少ないように、
器もまたそうであると感じます。
 あくまで、想像を膨らませて、一応理論立ったことを器造りに盛り込んだにしても、じゃあ自分が食事をするときに器作者の意図を読み取ろうとするか?答えは、いいえです。
料理と器の調和が取れていれば、おお!美しい、と目で楽しむ
ことを自然とするでしょうが、日常の食事でその観察はまず、しません。

 だからといって、何も考えず無造作に器を造れるのかといえば
そうはしたくないんです。
的外れでもよいから、考えた事柄を形にしたい。
そう感じています。

 作り手の心の振幅をこうして文にして公開する行為は言ってみれば
外道、かもしれません。独りよがりと言えるかも知れません。
かも知れない、じゃなくそうなのでしょう、きっと。
それでも自分はどこかに頭を実際にぶつけてみない事には
何事も分かり得ない性分です。
この先どこかで痛い目に遭うそのときまで、こうしてグダグダ書き綴ってゆこうと思います。

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鼻歌

       気が付くと


 車の運転中、作業中、散歩中、風呂中
いつでも、どこででも何かの邪魔になることなく口ずさめる鼻歌。
意識無意識に関わらずついつい口先が動いてしまいます。
何かよい事があってルンルン気分!っていう訳でもないのに・・・

 最近頻繁に口ずさむ唄があります。
唱歌、童謡の類。それに、NHK教育テレビの子供向け番組で
流れる歌や、宮沢賢治作の童話の中の一文に節を付けたもの等。
子の誕生、成長をきっかけにこれらに触れる機会が与えられました。
 とにかくも、新鮮です。
時代を経ても色褪せず、引き継がれてきたこれらの唄、詩、歌。
子供達だけに占領されていてはもったえない!そう感じるほど
素敵な世界です。

 ぞうさん、おうま、かたつむり。
はるがきた、ちょうちょう、あかとんぼ、むしのこえ。
きしゃぽっぽ、まちぼうけ、こもりうた。
おしょうがつ、こいのぼり。
ももたろう、きんたろう、うらしまたろう、うさぎとかめ。
 唱歌や童謡は単純で簡単な言葉の繰り返しのように思えども、様々な想いを喚起させてくれる魔法の詩だと感じます。

 また、NHKで流れる子供向けの歌にも魅力を感じます。
踊って歌う曲などは、子より僕の方が夢中になって朝ごはんの途中でも立ち上がって歌い踊ってしまうほどです。
おかしいですか?
おかしくてもいいんです。
心の原風景や琴線に、ダイレクトに触れてくるそれらの唄、詩、歌。
それらが誘う世界に無防備で立ち入ってみると、
複雑で難しい世界での生活で、いつの間にか身に着けているものが鎧であったことに気付かされます。
 だいぶ飛躍してしまいましたが、歌い踊り鼻歌を口ずさむことは
単純に、気持ちよい!のです。
単純が、気持ちよい!って事も言えるかもしれません。

 これって・・・・・現実逃避とも言えるのでしょうか。






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