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六地蔵山坊主

Author:六地蔵山坊主
 お蔭様で第4回の窯焚き、窯出しを無事済ませることができました。
遅々とした動きですが、確実にに前進している・・・そんな実感がじわじわ湧き上がっている昨今です。
春の窯に向け再始動します。



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祭り

       まわしを締めて


 南国土佐では、今日からよさこい祭りが始まったそうな。
夏の祭りは開放的な気分にさせてくれます。
それはそれでいいものですが・・・・・。

 岡山でのやきもの修行中、欠かさず参加した祭りがありました。
日本三大奇祭、のひとつ会陽祭り。
別名、裸祭り。
2月の第2週の土曜の深夜12時にはじまる
この祭りに8年連続で出ました。

 真冬の深夜にまわし一丁の野郎ばかりが
肩を組んで街を練り歩き、境内の社務から投げ落とされる
神木(しんぎ)を奪い合う祭りです。
傍から見れば、何とも阿呆な様の祭りなのでしょうが
参加する野郎共は、かなり気合を入れ真剣そのものの形相
で取り組む祭りです。
 なんせ、死者の出る祭りということで有名になったのですから。
たった2本の神木を10000人のゴツイ野郎共が
奪い合うんです。
境内はその時間だけ治外法権状態。
喧嘩だけが目的の野郎あり、やくざあり、何でもありなんです。
運の悪い人は最中に足をすくわれ皆の下敷きになり圧死する人、
首の骨を折る人。
 とにかく凄い祭りです。
仲間と真剣に神木を奪う事に熱中し、熱狂した祭り体験でした。
幸い大きい怪我をせずに通り抜けた自分です。

 岡山を去ってから4年が経ちますが、
毎年その頃になると祭りのこと、仲間のことを思い出します。

 もう一度出るか?
と仲間に誘われたら・・・・・
出てしまうでしょうね。
祭りの後の冷めやらぬ興奮と脱力感、あの味はあそこ
以外では味わえません。
 


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記憶の記録  9

       2004・秋

 仕事場兼住居の予定地をユンボにて
整地しながら、設計の詳細を決めてゆく。
設計当初、2×4工法でのセルフビルドを予定していた。
この工法の利点である、素人でも施工可能な点が決め手になり
設計を進めていたのだが・・・住宅地より湿気の高い山での生活に耐え得る建物か?という疑問にぶつかり思案に暮れた。

 ほぼ設計が仕上がっていただけに、ここに来ての工法変更は
勇気のいる決断ではあったが、大工の友人の進めもあり、
在来工法に思い切って切り替えた。
となれば設計そのものも白紙に戻ることを意味する。
妻と連日設計を組み立て、図面作成にいそしむ。

 大工の友人にチェックしてもらいながら、ほぼ設計が固まる。
2004年が暮れようとしている。
ここからは地元にある建築資材全般を扱う、
株式会社 協力(きょうりき)さんの支援により設計詳細が滞り無く決まってゆく

建築に必要な各図面が仕上がり、
各業者の選定に入る。

 この頃、大工の友人U君が所属する工務店の仕事を
長期間休み、こちらの建築に当たってくれる段取りをとってくれる
ことになる。
正直なところ、2×4工法から在来工法に変わったことで
セルフビルドは難しくなり、どうしたものか思案しっぱなし状態。
そんな自分を見かねたU君が、泊り込みでの建築を申し出てくれたのだ。
僕や妻はおいおい、泣いた。

 ところが彼も抱えている仕事があり、こちらの着工時期を
遅らせないと都合が合わない事になり、又一思案。
前述の協力の会長さんに相談した。
U君がこちらに来れるまでの間、棟上げまでをお願い出来る
大工さんは居られやしないかどうか?
こんな無茶なお願いが通る筈無いと思いつつ
こちらの胸の内を聞いてもらった。
さすがに困惑の表情をされていたが、当たれる所は当たってみます、
との返事を頂く。

 数日後、そんな無茶なお願いを聞き入れて下さる大工さんが
居られた、と知らせてくださり
その方と顔合わせの場をも設けてくださる。
その方は、共栄ハウジングの吉田さん。
直接会い、こちらの失礼を詫びつつ日程が決まる。

 2005年冬、いよいよ基礎が始まった。

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 施工に当たったのは、
両親宅の建築時にもお世話になった、田辺工務店。
その丁寧な仕事振りに感心し、お願いした方達。
とても気の良い、腕の立つ職人さんたち。

 こうして着工に漕ぎ着けたのだが
まあ、本当に面倒見の良い方、懐の深い方ばかりに出会い、
運のよさだけで突き進む自分であった。